岩原・永渕神楽
国指定土佐の神楽のひとつ。
天慶(938~947)天暦の頃(947~957)岡崎権六郎重良が伊勢より勧請し、奥荒に社殿を建立し、伊勢大明神として祀ったのがはじまりと伝えられている。
のち亨徳2年(1452)大洪水のため三宝山に社地を拓き、翌3年遷宮に奉納した人達の子孫が、今尚「神御子」として直接神に仕える制度が残されているところから、神楽はこの時代より始まったものと思われる。
永渕神楽についてはその昔、戦乱に敗れた則倉佐仲というものが京都から讃岐・阿波を 経てこの地に入り定住して伝えたとの説がある。
この神楽も、前記のとおり岩原神楽と同種同系のものであるので両者を区別せずこれを一括して岩原永渕神楽と称する。
天慶(938~947)天暦の頃(947~957)岡崎権六郎重良が伊勢より勧請し、奥荒に社殿を建立し、伊勢大明神として祀ったのがはじまりと伝えられている。
のち亨徳2年(1452)大洪水のため三宝山に社地を拓き、翌3年遷宮に奉納した人達の子孫が、今尚「神御子」として直接神に仕える制度が残されているところから、神楽はこの時代より始まったものと思われる。
永渕神楽についてはその昔、戦乱に敗れた則倉佐仲というものが京都から讃岐・阿波を 経てこの地に入り定住して伝えたとの説がある。
この神楽も、前記のとおり岩原神楽と同種同系のものであるので両者を区別せずこれを一括して岩原永渕神楽と称する。
- カテゴリ
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- 伝統芸能
- 活動内容
- 大豊町岩原、永渕地区は、吉野川をはさんで位置する。演目は双幣、二人幣、双刃、飛込双刃、三刃、二天、双刃操り、弓、手杵、大皿、へぎ、逆片刃、漁夫、舟舞、天浮舟、逆双刃、曲種、宇賀、宝、鋼女、四天、長刀、獅子、猩々の舞であるが、過疎による舞人の不足ですべてを演じてはいない。 もどき役がいて舞人が右に舞えば左に舞うといった逆の所作を演じる黒塗り面は注目される。 また口に太刀をくわえて舞う三刃の舞などの太刀舞も土佐神楽唯一のものである。 これらは産土神の御神体を迎えてきた氏家の庭先で演じられ、神楽舞に先立って12人の氏子が大きな白幣を手にしての散華(さんげ)の儀も注目すべきものである。 旧暦9月15日岩原神社、同18日永渕神社で奉納。
- 活動拠点
- 高知県長岡郡大豊町永渕・岩原
- 設立時期
- 天慶(938~947)天暦の頃(947~957)
- 代表者名
- 備考